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●安定と不安定,恐慌という崩壊をどうとらえるのか [金融システム]

前回紹介した新ドルの発行は念のため確認しておきますと,
もちろん陰謀のカテゴリーに入るわけでは無く,吉田氏が強調
されているように現在進行中の世界的金融危機に対する有力な
論理的決着の一つということです.この危機を回避出来るような
さらに強力な選択肢が有ればそれにこしたことは無いし,また
その場合は新ドル発行も一つの可能性として色あせたものに
成るでしょう.しかし,他にどのような決着があるのでしょうか.
ドル札を限りなく印刷し続けることは,すでに最初にふれたように
ドルの信用を自ら地に落とすことで実体経済をどん底にたたき
落としますから,選択肢としての意味をなさないことは明らかです.
 それに,AMEROを使う使わないはべつとして新ドルが発行され,
米国の債務を一気に帳消しにすれば危機以前の世界に戻る
ことになるのでしょうか.むしろドル支配は神話となり米国の覇権
の終焉は決定的になります.もはや世界はドルへの信用を捨てて
別のシステムの可能性を探ることになる.
 とすれば,歴史は強烈な犠牲を払ってドル支配の桎梏から
離脱する過程にあるとも考えられます.

 経済の動的変化に関する理論は安定への収束か,不安定下
での発展かで絶えず揺れ動いてきたように見えます.高名な
金融投資家で,今回の危機を早くから警告していたジョージ・
ソロスは”市場が均衡に向かって収斂する”という信念を市場
原理主義として激しく糾弾しています(「ソロスは警告する」ジョージ・
ソロス著,徳川訳・松藤解説;講談社,2008).彼は返す刀で
マルクス主義も有害な理論さでは同等として退けているのですが,
それはマルクス主義が方法論単一性の罠に陥り,科学的である
はずの理論が認知的であるより操作的に使われてしまっている
とみなしているからに他なりません.しかし,動的経済理論として
今なお甚大な影響力を持ち続けているシュンペーターの理論は,
明らかにマルクスの歴史理論の延長線上に有ってこれを
資本主義の変動という局面に集中的に展開したものであることを
自ら告白しています(「経済発展の理論」,中山・東畑共訳,岩波
1937).生産力と生産関係の矛盾というマルクスの基本理念は
シュンペーターによりイノベーションを体現する起業者
(アントレプレナー)の生み出す創造的破壊という新しい概念に
変身しました.不況はイノベーションが低下した均衡状態であり,
この状態は早晩新しいイノベーションによって打破されると
いうのです.
 僕にはこの地獄からの生還のような底抜けの楽天主義が
正しいのかどうか正直分かりません.しかし,迫り来る激動
の時代に沢山の犠牲が避けられないにしても,その時は
同時に新しい希望が誕生する時でも有って欲しいと祈っています.

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次は竜巻ではないでしょうね!? [気象]

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毎日のように押し寄せる大雨と雷,
それが今日はついに雹を交えた雷雨となった.
雹は確かに急激な上昇気流が不可欠で,上空で形成された氷粒が
落下,上昇を繰り返しながら融解・成長のサイクルで巨大化するとすれば
熱流があまりに強い8月には融けて大粒の雨滴となってしまうはず・・・
であるが,たまにはそれが起こるという.
確率的にはもっと気温の低い時期に起こるというのが
なぜこの時期に頻発するのだろうか.

昨日は幸いにも雷雨とはならなかったが,
上空には刷毛で刷いたような層雲が流れ秋の空のようである.
その冷たい上空に向かって盆地のいたるところから
突き上げるように積乱雲が成長していく.
この大気の配置は不気味としか言いようが無い.
下から一気に昇ろうとする熱気と
それを押さえ込み,あるいは置き換わろうとするかのような
上空の冷たい冷気の塊が安定であるはずがない.
いわゆる”不安定な大気”というやつだ.

これがさらに発達したら竜巻の発生に繋がらないのだろうか.
幸い今まで大きな竜巻に遭遇したことは無いが
今日の狂乱を体験すると
それが有り得ないとは言い切れない不安にかられてしまう.

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ジュピター;巨大ガス惑星の大赤斑と生命の散逸構造 [散逸構造]

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太陽の直径の11倍もある木星はその大きさもさることながら,
気体の下の陸地という僕等の惑星のイメージを完全に裏切る
点でも驚異の惑星である.
 ガス惑星である木星には大赤斑(GRS)と称される地球が2個分入って
しまうような巨大な模様があり,望遠鏡マニアの格好の観察
対象となっている.驚くべきことにこの模様は安定していて,
100年単位で基本形が維持されているという.
 木星の表面温度は摂氏ー140度で絶対0度から比べれば桁違いに
高い.これは太陽からの輻射熱エネルギーの予想値も上回る
値で内部からのエネルギー流出があることを示している.
エネルギー動態の散逸構造ときわめて安定した構造の存在,
これは複雑系の論客;スチュアート・カウフマンに生命体との
アナロジーを示唆させる一文を思いつかせた!
 
「自由生活を営む生物はすべて非平衡状態にある.実際,生物圏
それ自身も太陽の放射熱の流動によって駆動される非平衡状態
である.」スチュアート・カウフマン著,自己組織化と進化の
論理,1999,p.47,米沢富美子訳.

 カウフマンの理論はアナロジーの論法が飛躍に満ちていて
スリリングである.

しかし,「複雑系」の主張は一時の熱狂が去った後は流行病のように見聞きすることが
少なくなったのはなぜだろうか.

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何かが始まり生まれる時は [生物システム]

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今日松林の中の自家製散歩道をぶらぶらしていたら
シュンランがそこかしこで白い花をつけていることに気付きました.
コナラの芽はまだ小さく茶色ですが,
冬に薄いピンク色の花を咲かせていたコウヤボウキなど
もうあと少しで葉がこぼれそうに芽が成長しています.
もう春なんですねわーい(嬉しい顔)
日本シュンランは1茎1花で他の東洋シュンランとは違いますが
ランマニアは昔から多くてスルガランの斑入り種に100両の値がついたそうです.
昭和に入っても大流行した時が有って,
その時は数百万円で取引されたものも有ったとか,ちょっと無粋な話ですが.
この時期は珍しいランを求めて山に入るひとに出くわすのですが,
工房のまわりのありふれたランには彼等は見向きもしません.
でも去年から積もった分厚い落葉をおしのけて
地上に顔を出した3,4cmの可憐なランを観ると不思議な気分になります.
開花といっても無から始まるわけではなく
花の芽は冬の間土中に隠れていて,休眠抑制因子が減少するか
ないしは休眠抑制を壊すような機構が働くのではないかと思ったりするが,
この種の生物機構に詳しくないのでうっかり信じないで下さい.

一般に生物の活動が突然停止状態に入ったり
逆にその停止状態を自ら破って再開したりすることはよく有るのですが,
それが内因的なものとは必ずしもいえないようです.
身近な例として細胞分裂を例にとりますと
卵のような雌性配偶子形成ではヒトの場合減数分裂
(配偶子形成で見られる独特の有糸分裂;引き続く二回の有糸分裂
を含む)の第一回目の分裂の前期の段階で突然長い眠りに入ってしまいます.
これではいけないとこの卵のもとになる卵母細胞が
一定時期になると自ら目覚めるかというとそれは出来ない,
外からのホルモンのような刺激が直接・間接に必要なんですね.
無脊椎動物,両生類,ヒト等では細かい機構が異なるので
こういうもってまわった言い方になってしまうのですが,
要するに細胞内の起爆装置のようなものだけで細胞が目覚めない
と言ったらよいでしょうか.

ちょっと話は飛ぶのですが
物理や数学の世界に生まれたり始まったりする考え方ってあるのかな
とか以前考えたことが有ります.
宇宙物理のような物質界の歴史を対象にした時は
もちろんそれは有るのですが,
自然史的なものは物理の学問体系から演繹されるものでは無いのです.
歴史的なものが入るとそれはどのような分野であろうとあたりまえですが
何かが始まり,生まれるということが重大関心事に成ります.
僕がいつも混乱におちいるのは
あるシステムの内側に自己創出的に発展(消滅)の第一原因が有るのかどうかという点です.実はこの問題設定自体間違っているのかもしれません.
書き出すと長々と展開しなくてはいけないので別の機会にしますが,
例えば一人の人間というシステムを考えた場合
その人間がある事を開始する時,
その生成・発展・消滅をどのように理解したらいいのかという問題に繋がると思うからです.



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切り刻まれた子猫達が語るものは何か? [十代の危機]

数日前のある投書記事を読んで愕然とした.迷い込んだ野良猫から
数匹の子猫が産まれ,その飼主をさがして苦労したというところまでは
ありふれた話である.問題はその先で,話をどこからか聞きつけて
たずねて来た一人の制服の高校生が引き取りたいとのこと,名前も
住所も名乗っての申し出に探手は子猫達を手渡したのは言うまでも無い.
ところが,その子猫達のそれからが気になって名前・住所をたずねて
も見当たらないことから事件となる.偽名だったのだ.探手はよほど腹に
すえかねたのか,制服をたよりに行方をつきとめたところくだんの高校生
達の手にかかって子猫達は”解剖”されてしまったという悲劇的な結果に
なる.投書の主もショックだったのは当然であるが,読んだ僕もその日
一日反芻するような陰惨な気分に落ち込んでしまった.
 おそらく麻酔もかけない状態で泣き騒ぐ子猫達を数人がよってたかって
切り刻んで行ったのであろう.人の攻撃性がたかまる十代は他の痛みに
たいする配慮も少ないという2重の危機の淵を歩くことになる.命の貴重さ
という理性的な説教は有効性を持つのだろうか.むしろ感覚の衰えというのか,
無気力さの暗い裂け目から吹き上げる冷気のようなものが問題ではないのか
と思ったりする.
 先進国のどの国でも不可解とも言える青少年の残虐行為に手を焼いている.
日本では”いじめ”として顕在化している集団的な残虐行為に関心が
集中しているが,傷つけることの快楽の爆発は多様で原因も特定
出来ない場合が多い.おそらく遺伝的なものと環境的なものが複雑に
からみあうのであろう.”It is pointless to argue about nature versus
nurture. Behavior is 100 percent hereditary and 100 percent enviromental.”
C.F.Ferrisの指摘が思い出される.凶悪な事件が起こるたびに一過性の
憤激がマスコミをにぎわすが,原因と対策の深い解明には恒常的追求が
必要であろう.安全はただでは無いというのは,警察や軍隊や収監の費用
だけを意味していないと思う.



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引用した絵はM.A.Maddox, Housekeeping,The Sciences, Vol36, No.2 

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H5N1高病原性トリインフルエンザの現状はネットを見ないと分からない [ウイルスシステム]

前回の日記でH5N1高病原性トリインフルエンザの拡大について触れましたが,日本のマスコミは依然として不可解な沈黙の中になりを潜めています.
しかし,一旦ネットの世界に目をやると騒然たる現状が手に取るように分かるでしょう.特に以下のHPはまさに超人的てもいえる努力で,東アジアの惨状を日本語で僕らに伝えてくれています.毎日数時間をついやして現地の報道をチェックすることがどれほど大変なことか,ぜひともアクセスして確認してみて下さい.
http://homepage3.nifty.com/sank/jyouhou/BIRDFLU/index2.html

管理人は小樽市保健所長外岡氏で,氏の記者クラブでの講演を読むとこのパンデミック・ウイルスへの並々ならぬ危機感がよく分かります.

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パンデミックは時間の問題か;きわめて危険な状況 [ウイルスシステム]

 インド東部西ベンガル州で高病原性の鳥インフルエンザ感染拡大が一向に終息する気配が無い.1月20日時点での報道では8万5000羽のニワトリが感染症で死亡したという.
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2337756/2529950

 初期段階の封じ込めに失敗した原因の一つがニワトリ殺処分の不徹底である.マレーシアのニパ・ウイルスの発生では軍を総動員しての豚の徹底した殺処分となった.結果マレーシアの養豚業は壊滅的な打撃を受けたがニパ・ウイルスの感染は終息した.未知のウイルスで有ったニパと違って,検査方法も確立しているはずの鳥インフルエンザで最初の大量死報告が4日,病原ウイルスが同定されたのは10日以上経た15日である.しかも今もってニワトリ処分の方針に住民の一致した賛同が得られていないことには愕然としてしまう.
 26日の報道では感染は隣のバングラデシュに飛び火し,感染範囲は農村部から1400万都市圏人口を持つ州都コルカタに迫るまで拡大してきている.高濃度のウイルスにさらされた人がつぎつぎと発病したらどうなるのか.ウイルスがヒト型に変異する極めて危険な状況が刻々と迫ってきていると言わざるを得ない.
 

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野良甲斐犬達の訪問が無くなってしまった! [ペットとの日々]

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 前回の日記で野良甲斐犬を追い払うのは止めにしたと書いた.
かなり強引な追い払いかたをしたのに,彼等はある意味では紳士的だったと思う.まあ,2時間おきぐらいに家の周りを飛び回るのが紳士的かどうかということもあるが,これはフェロモンが原因ならば了解範囲ということになる.一度も咆えられなかったし,雪の中で座ってこちらをじっと見ている姿には一生懸命が持つけなげさが有った.”負けた!”と思った瞬間自己嫌悪のようなものが出てくるから不思議だ.リラはかわいそうだが,手術が終わるまで家の中に閉じ込めておけばすむことである.僕と黙って目を合せた後,その甲斐犬はくるりと向きを変えて森の中に消えてしまった.
 どうせまた来るに決まっていると思ったが,何事が起ったのかついにその日一度として彼等の姿を見ることは無かった.あくる日も同様である.もしかして野犬狩りで捕獲されてしまったのだろうか.リラを連れて散歩すると必ず姿を現したはずなのに森はしんと静まりかえっている.友人に捕獲犬を調べてもらったがそれは無いという.今日は山道のかなり奥まで足をのばし,探し回ってみた.いのししの罠にかかったとすれば声が聞こえるはずだ.結局一時間ほど歩き回って倒木だらけの森から手ぶらで引き返すことに成った.疲労と得体の知れない悲哀で今は考える気力が無い.彼等はどこに消えてしまったのだろう.

雪の工房はなぜか森閑として声が無い.

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野良集団からのリクルートも? [ペットとの日々]

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リラJan212008a.jpg
朝から工房に降り出した止む気配もなく,昼前には純白の厚い綿毛に包まれてしまった.それでも野良甲斐犬の訪問は頻繁で,こちらの威嚇などこけおどしだということをとうに見抜いている様子である.注意して観察したところ頭数は二匹に増えていて,これも相手が自信を深める原因かもしれない.
 リラの方は野外で襲われると危険なので,今日は一日ログハウスの中に閉じ込めておくことにした.と書くといかにも彼ら甲斐犬達がしかけたような感じになるが,本当のところは逆かもしれないとも思う.
 犬の発情期に関して言えば,6ヶ月おきのメスの発情がフェロモン放出となってオスを刺激するわけで,単独でオスが荒れ狂うわけでは無いことがまず挙げられる.リラのフェロモンが強力だとすると彼等は抗いがたい力で引き寄せられているのかもしれないのだ.それに一度林の中をリラと散歩して驚いたのだが,突然リラが足を止めオオカミの様な長い尾を引く声で咆え始めたことがある.”ドクトル・ジバゴ”の映画を観た方はその声に記憶が有るであろう.僕はスミソニアン博物館でオオカミの咆え声の録音が入ったCDを購入し聞いたことがあるのであてずっぽうで言っているわけではない.この咆え声を亡くなったコロに聞かせたことがある.イヌの喧嘩に興味が無かったはずの病気のコロが突然耳をたてて緊張したのを今でも憶えている.リラの声は風に乗り遥かかなたまで響いたはずである.野良甲斐犬の連中が彼等の女王としてリラを迎えに参上したと考えると面白いかもしれない.
 とするとこの訪問を阻止するにはリラの不妊手術で解決といかない可能性がある.昨日獣医さんに手術のことで相談に行ったが,このことはあまりに荒唐無稽なので黙っていた.しかしショックなことも聞かされてしまった.ボルゾイの寿命はすごく短いそうだ.12年ぐらいですかと聞いたが答えてくれなかった.もっと短いということだろう.リラはもう6歳を過ぎている.ここ数年で僕とリラが織る織物がどうなるのか分からないが全速で走り抜けるリラと僕は最後のところでは同じ歳を生きるような気がする.
 写真はついせんだって,完成した階段で記念のろうそくとかがり火を灯した時のリラの勇姿である.うーん,ほれぼれするほど美しい!

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呪われた一日(その3);ツヴェターエワの詩 [ペットとの日々]

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イダン・レイチェルはイスラエルのミュージシャンである.版権があるので画像を引用
するのは控えて,雑ではあるが彼のイメージを描いてみた.

 よく考えて見ればリラにとってはどこで用をたそうとどうでも良いことのはずだ.汚れて困るのはこちらの勝手だろう.それを”しつけ”と称して一喜一憂しているのはまさにペットだからということになる.野山を駆けて生活していたオオカミが人間にとりこまれたばっかりに,人間の生活習慣への順応を要求される.理不尽なのはどちらか明らかだろう.女性詩人のマリーナ・ツヴェターエワの詩;”さよなら わが友よ”をふと思い出した.
 仲よしだったが,別れがきた
さようなら,わが友 狼よ!
わたしたちの友情は 息が絶えかけている
わたしはあたえるよりも 借りをのこした!

森や野を 仲間をもとめて
思うさま 突っ走るがよい!
おまえの背の毛をなでてやったら
森恋しさに 泣いたっけ! (工藤 精一訳)

に始まる切ない詩だ.その最後が妙に記憶に残っている.

永遠にさようなら 灰色の狼よ!
もうわたしは 夢に見ることもないだろう
そのうちにまた ばかな女があらわれて
狼のこころを信じてくれるだろう

この馬鹿な人間の一人が僕だと思う.甲斐犬の野良が何か悪さをしたわけではない.白い雌犬に興味を持っただけでなぜ石を投げられ追われなくてはいけないのか.そう考えるといたたまれない自己嫌悪にとらわれた.冬の夕暮れは早い.こうして僕はリラをひとり工房に残して家族の待つあたたかい家に帰るのだ.リラは来るのか来ないのかわからない僕を待って朝までひとりとり残される.しんと静まりかえった森の中からは仲間が呼ぶ声が聴こえるかもしれないというのに.
 帰宅はどん底の気分で突然メランコリーの渦の中に投げ込まれたかのようになってしまった.途中の車の中で,例のイダン・レイチェルのMi'Ma'amakimを聴いたせいもある.この曲はすくなくとも50回以上は聴いたのだから,たまたまその時の気分が同調してしまったということだとは思うが.僕は医学的には鬱病ではないが,どうも鬱的気質が強いと自分でも思う.
 こうして呪われた一日がなんとか過ぎていった.問題は何も解決していないが.

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