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切り刻まれた子猫達が語るものは何か? [十代の危機]

数日前のある投書記事を読んで愕然とした.迷い込んだ野良猫から
数匹の子猫が産まれ,その飼主をさがして苦労したというところまでは
ありふれた話である.問題はその先で,話をどこからか聞きつけて
たずねて来た一人の制服の高校生が引き取りたいとのこと,名前も
住所も名乗っての申し出に探手は子猫達を手渡したのは言うまでも無い.
ところが,その子猫達のそれからが気になって名前・住所をたずねて
も見当たらないことから事件となる.偽名だったのだ.探手はよほど腹に
すえかねたのか,制服をたよりに行方をつきとめたところくだんの高校生
達の手にかかって子猫達は”解剖”されてしまったという悲劇的な結果に
なる.投書の主もショックだったのは当然であるが,読んだ僕もその日
一日反芻するような陰惨な気分に落ち込んでしまった.
 おそらく麻酔もかけない状態で泣き騒ぐ子猫達を数人がよってたかって
切り刻んで行ったのであろう.人の攻撃性がたかまる十代は他の痛みに
たいする配慮も少ないという2重の危機の淵を歩くことになる.命の貴重さ
という理性的な説教は有効性を持つのだろうか.むしろ感覚の衰えというのか,
無気力さの暗い裂け目から吹き上げる冷気のようなものが問題ではないのか
と思ったりする.
 先進国のどの国でも不可解とも言える青少年の残虐行為に手を焼いている.
日本では”いじめ”として顕在化している集団的な残虐行為に関心が
集中しているが,傷つけることの快楽の爆発は多様で原因も特定
出来ない場合が多い.おそらく遺伝的なものと環境的なものが複雑に
からみあうのであろう.”It is pointless to argue about nature versus
nurture. Behavior is 100 percent hereditary and 100 percent enviromental.”
C.F.Ferrisの指摘が思い出される.凶悪な事件が起こるたびに一過性の
憤激がマスコミをにぎわすが,原因と対策の深い解明には恒常的追求が
必要であろう.安全はただでは無いというのは,警察や軍隊や収監の費用
だけを意味していないと思う.



HK1.jpg
引用した絵はM.A.Maddox, Housekeeping,The Sciences, Vol36, No.2 

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