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再発見の時代;創生と不可知の海 [宇宙の始まり]

 

おおいなる存在を感じる瞬間はひとそれぞれでしょう.驚嘆すべき生物の動き,作為を越えた幼児の笑い,瞬間の過ぎ行く表情,季節の移ろいに人智をはるかに越えたものを感じる瞬間があります.その背後のものは有限な空蝉を生きる自分の死後も存在するなにかであるはずです.アインシュタインの場合は世界の合理的な記述が可能であること,法則的なものが簡潔な数式で表せること,そしてなによりも世界が存在し続けると確信出来ることこそが神の存在の何よりの証明だとする彼自身の証言が有ります.
”すぐれた科学的業績の基礎には,世界が合理的,あるいは少なくとも理解可能であるという,宗教的感情にも似た信念がある.この信念がわたしたちの神の概念をなしている.それはスピノザの神の概念でもある.”
 膨張宇宙の概念に対してアインシュタインが直感的に大きな危険性を感じたとしても不思議ではありません.なぜなら膨張の原因をたどれば必ず創生の問題が登場するからです.事実,ビッグ・バン理論を経て今や我々の時代は物質,時空消滅の問題を議論しているのですから.ド・ジッター宛ての手紙でアインシュタインは書きます.”膨張宇宙というこの環境は私を苛立たせます.”膨張宇宙という”このような可能性を認めるのは無意味なようです.”もはやこれは数式の,そしてこの一般相対性原理の数式はアインシュタインその人の手になるものですが,解に関する議論ではなく危機に直面した魂の悲鳴のように聞こえます.アインシュタインは動揺し,立て続けにミスをおかしました.一つはアレクサンダー・フリードマンの膨張宇宙の別の解に対して,計算違いをしたにもかかわらず”疑わしい”とする誤りを,さらに宇宙項を含めたベルギーのジョルジュ・ルメートルの膨張宇宙の解に対しても”数学的センスがない”と叱りつける誤りを.ルメートルの解はエディントンにより広く紹介され膨張宇宙の考え方は理論面でもしだいに注目されるようになって行きました.
 しかしアインシュタインの感じた不安は現実のものとなりました.科学者アインシュタインは1931年ベルリンからカリフォルニアのハッブルを訪れました.ハッブルの得た写真を観てアインシュタインは膨張宇宙を受け入れる決意をしたと伝えられています.それからいくつかのブランクがありましたが,1965年宇宙背景放射の発見によって”ビッグ・バン理論”は永遠不変の宇宙像を駆逐することになりました.しかも痕跡も残さないほど徹底した形で.今や僕等は科学を追及し,科学の絶対的無力を受け入れるかどうかの選択をせまられています.インフレーションからビッグ・バンに至るその一日前,一時間前,1分前に何があったのか,それにはどのような科学も答えられません.一分前といい
ましたが,時間を云々することが可能かどうかさえも分からないのです.答えについても,答えが無いと言うより,考察の対象することが出来ない絶対的不可知と言ったらよいでしょうか.僕等と,僕等が生きる世界全体の誕生の秘密が,絶対的不可知の広大な闇で封印されていることが明らかになって来たのです.

 

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