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③警告するミュータント;50年代手塚漫画に観る [メタ生物学]

ゴジラをSF映画と言うのかどうかは別として,50年代の
日本製SF映画はそれを除くと空想性の翼がもぎ取られたようで
それほど印象に残る作品は想い出せない.予算的制約がそうさせた
のであろうか.一方では製作ラボの規模に影響を受けない
漫画は一大革命期に有った.手塚治虫という稀有の才能が,
無人の荒野を行くようにストーリ漫画という新ジャンルを切り拓き,
次々とSF漫画の傑作を世に送り出していたからだ.

来るべき世界.jpeg

1951年1月,2月,不二書房発行の『来るべき世界』1&2は
小学生だった僕をたたきのめした.二つの体制間のむき出しの
抗争,戦争,独裁政権下で行われる強制労働,拷問,狭い利己的
欲望に翻弄される愛情は痛めつけられた人間不信に激突して
砕け散る.科学もまた崇高な行為ではないことが暴露され,
地球の危機を訴える声は世論を動かすには至らない.メタファー
としてのノアの洪水は倫理を見失った世界への最後の警鐘
であり,それが有効性を持たないと分かった時現実となる.
これはギルガメシュの叙事詩ではなく旧約聖書の道徳的物語
なのだ.

フームン.jpeg

 この物語を構成するもう一つの要素は核実験という人間の悪魔的
行為が生み出した超人;ミュータント・フームンであり,彼等の地球脱出
計画が重ねられて話は劇的に展開していく.宇宙水爆戦のメタルーナ・ミュータント
のようにグロテスクな姿をさらしてよたよたと奴隷生活に
甘んじるのではなく,このフームンは引力を自由に操作し
テレパシーで会話し,高度な知性を遠大な戦略に集中させる.
粗暴で度し難い退廃に転がり込んだ人類は家畜として彼等に
一部救済されるか,彼等の地球脱出計画を暴力的に奪い取るしかない.
 深い暗黒の淵を覗き込むようなこのペシミズムは,未知の天体と
地球の激突という危機を潜り抜ける中でかろうじて否定されるかに見える.
しかしそれは人類史への楽天的回帰と言っていいのだろうか.
崩れ落ちる建物の下で周囲から隔絶してピアノ演奏に熱中するピアニスト,
”平和だ平和だ!地球に戦争はなくなった!人間バンザイ
世界の文化!!!バンザァイ”という二体制間の和解,
それは解決というよりは狂気による高揚しか残されていないことの
証明のようにも受け取れる.

太平洋Xポイント.jpeg

 51年のこの危機意識は50年代の手塚作品を彩る主旋律である.
53年の「太平洋Xポイント」ではもはや空想の表層はかなぐり
捨てられ,核実験そのものが剥き出しの形で糾弾される.

大洪水時代.jpeg

55年の「大洪水時代」ではメタファーとしてのノアの洪水ではなく
北極圏核爆発のよる津波が全世界を襲い科学技術が創り出した
現代文化を押し流していく.
 突然変異は怪物の製造ツールを超えて,科学を揺さぶる
重要なツールとなったといえる.

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②万能の怪物製造理論;突然変異と『宇宙水爆戦』 [メタ生物学]


●1950年代のSF映画にはそれまでにはお目にかかれない怪物が頻繁に
登場するようになった.[『原子怪獣現わる; The Beast from 20,000 Fathoms,1953
』とか『放射能X; Them! , 1954』,『水爆と深海の怪物; It Came from beneath the
Sea, 1955』等がそれであるが, 注目すべきはこれらの怪物の生まれた原因として,
いずれも核実験による異常な放射線被爆が想定されていることである.既存の
生物の巨大化はある時は蟻であったり,深海の蛸であったり,また爬虫類であったり
するわけであるが,科学・技術生み出す産物がその生みの親である人間を襲うという
パターンはどこかメアリー・シェリーの悪夢;フランケンシュタインの怪物に連なるもの
がある.しかし科学のツールとしてはフランケンシュタインの怪物は今日の言葉で言えば
移植で有って,突然変異ではない.さらに悪夢の質についても,人の存在そのものに
科学が侵入していくことに由来する恐怖は,人間界の外部で暴れまわる怪物が
どのように巨大なものであろうとその恐怖とは異質のものであろう.
放射能Xを観たのが何歳頃だったのか正確なことは覚えていないが,
強大化したアリを火炎放射器で追い立てる場面など戦争映画の
延長線上のスペクタクルと大して違わなかった印象がある.

●ところが1955年公開の『宇宙水爆戦;This Island Earth』に登場する
メタルーナ・ミュータントはちょっと趣が変わっていた.核戦争の傷跡と言っても
別の宇宙人の突然変異体である.はちきれんばかりの巨大な脳は外部にむき出しで,
未発達とも思える四肢がよちよちと歩く姿は科学が生み出した醜悪さのメタファー
としては異色のものであった.この不気味さを理由に,ひたすら逃げ回るヒロイン等
からぼこぼこにされて死に果てるメタルーナ・ミュータント!

メタルーナミュータントBW2.jpeg

観た当時(高一?)暗い劇場の中では深く考えることもなかったが,
この作品はいろいろな意味で50年代を代表するSF映画の一つとして挙げるファンも
多いと聞く.比較的最近,NHKBSの深夜劇場で放映されたそうであるが,
僕の場合後の祭りであった.LDで販売されたがDVD化されたかどうかは知らない.
予告編だけなら以下のサイトから閲覧は可能だが・・・.

 http://www.youtube.com/watch?v=hR7e3StbXoU&feature=player_embedded

 映画論ではないので内容の詳細は別に譲るが,ヒト型生物も突然変異の例外ではない
ということで,突然変異が万能の怪物製造理論として広く受け入れられて行った
のではなかろうか.

●それでは原水爆戦の脅威というのはどの程度現実的な脅威だったのだろうか.
 1950年は1月31日,トルーマン米大統領は米原子力委員会に対して特別声明
を出し水爆を含むあらゆる核兵器の製造続行を宣言していた.それは世界大戦
の終結後の新たな近代戦の勃発を明確に意識したもので,その年の6月には
38度線を越えて北朝鮮軍が南下,朝鮮戦争が勃発して現実のものとなった.
この状況下で熱核戦争を阻止しようとする動きも活発となり,核兵器の無条件禁止
を訴えるストックホルム・アピールが3月の世界平和擁護大会総会で採択
されることになる.しかし事態は急速に戦争に傾斜して行った.11月30日
には”必要であらば中国軍にたいして原爆使用ありうる”とのトルーマン大統領
の声明が出された.1950年からの数年は核兵器実戦配備とより強力な水爆開発を
目指す核実験ラッシュの時代だったのである.50年代のSF映画は空想というよりは
現実の脅威を背景に製作された作品が多いと言えよう.
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▲突然変異のメタ生物学的社会心理;50年代SF映画から見る①はじめに一言 [メタ生物学]

科学的世界観の一般化にSF映画がどの程度の役割を果たすものか
ドキュメントを漁ったことはないが,その時代の社会心理学的雰囲気を
知る一つの入口には成り得るであろう.SF映画は戦前には製作されず
映像と音がリンクしたトーキーになって初めて登場したと思われる方
もいると思うが,映画の登場と同時にSF的映像は果敢に試みられて
来た.これらの作品を映像メディアとして目にする事は簡単ではないし,
自分自身も実際に観た作品はほんの少数であるが,いくつかの証言を
総合するとモチーフの中心は二つのカテゴリーに分けられるように思う.
その一つは当時の先端技術の夢を反映したもので,ロケットとかロボット,
高度な建設技術,軍事施設等がそれである.もう一つは現実には
観ることの出来ない未知の世界を映像化するというもので,恐竜とか
怪獣,火星人,獣人などがそれに入るであろう.そういったSF映画の
中で今もって最も評価の高い作品の一つが「メトロポリス」である.

メトロポリス1.jpg

オリジナル・フィルムは1926年,ドイツ・ウーファ社から出された
ものでサイレント映画としては破格の制作費を費やしたと言われている.
監督・脚本はフリッツ・ラングでエキストラは37,975人,使用フィルム
は62万メートル,驚くべき情熱が注ぎこまれた.この超大作はジョルジオ・
モロダー音楽総合プロデュースと擬似カラーを得て1984年に
劇場公開されたのでご覧になった方も多いのではなかろうか.
 物語の舞台がどこかヒットラー登場前のドイツを示唆するようで,
アンドロイドのマリアの煽動が印象的であった.しかしこの映画の
コンセプトの中には生物学的知識の革新性は無い.当時の科学の中心
はあくまでも物理で,その応用としての技術の暴走に社会革命の理念
が歯止めをかけるという構図となっている.この構図はまさに20世紀の
理想の縮図のようなもので,別角度からみた批判の芽は50年代のSF映画
の興隆期になり初めて登場することになる(続く).
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